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福岡地方裁判所小倉支部 昭和53年(ワ)590号 判決

原告

孫俊鉸

被告

宇戸田為之

主文

一  被告は原告に対し金一五四万三、四二三円及びこれに対する昭和五〇年五月一二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  被告は原告に対し金一、一一一万〇、三四〇円及びこれに対する昭和五〇年五月一二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行の宣言

(請求の趣旨に対する答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

三  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

(請求原因)

一  本件事故の態様

被告は、昭和五〇年五月一一日午後一一時頃、普通乗用自動車を運転して、北九州市小倉南区蜷田八六〇番地の一、日栄商事倉庫前付近の道路を進行中、道路側部前方を歩行中の原告(当時六四歳)に背後より衝突し、現在なお入院加療を要する腰部捻挫の傷害を負わせた。

二  被告の責任

被告は、自己所有の加害車両を運転していたのであるから、自動車損害賠償保障法第三条にいう運行供用者であることは明らかであるので、本件事故により、原告に与えた損害を賠償すべき責任がある。

三  本件事故による損害

(一) 治療費 金二三七万五、二四〇円

後記のごとく原告は宮崎刑務所を出所後、昭和五二年一月より現在まで本件事故による傷害のため北九州市小倉北区霧ケ丘三丁目一九番一号湯川診療所に入院しているが、同年八月分までの治療費合計金二三七万五、二四〇円を負担し、同額の損害を蒙つた。

(二) 入院雑費 金三一万二、六〇〇円

本件事故後一二日間九州労災病院に入院し、その後昭和五〇年八月末まで通院し、前記刑務所出所後昭和五二年一月八日より湯川診療所に現在まで入院しているので、入院中一日六〇〇円の割合による五二一日分の入院雑費合計三一万二、六〇〇円の損害を受けた。

(三) 慰謝料 金四〇〇万円

(イ) 入通院に伴うもの金三〇〇万円

(なお服役中においても本件傷害のため治療を行つていた。)

(ロ) 後遺障害によるもの金一〇〇万円

原告は現在前記湯川診療所に入院し、治療を受けているが、同診療所の担当医師田中芳隆によると、頑固な腰痛がみられ、早急には治療効果が認められず、「病状は固定」と考える旨診断している。なお入院通院を要する後遺障害があると考えられるのでこれによる慰謝料は金一〇〇万円を下らないものである。

(四) 喪失利益 金三九八万五、五〇〇円

原告は本件事故以前、北九州市小倉北区明和町三番三四号日栄商事(代表者森田潤三郎)及び北九州市八幡東区槻田二丁目四番五号松本建設工業(代表者松本一範)に勤務し、昭和五〇年一月初めから同年三月末日までの三ケ月間、一ケ月平均一二万五、〇〇〇円の収入を得ていた(右日栄商事からは三ケ月で一九万五、〇〇〇円、右松本建設工業からは三ケ月間で一八万円の賃金を得た。)ところ、本件事故により右勤務ができなくなり、かつ現在入院中で労働が全くできなくなり、更に将来に亘り全く就労が不可能となつた。なお、原告は本件事故当時より独身であり、又昭和五〇年九月一日より同五一年一二月一五日まで覚せい剤取締法違反被告事件の判決確定のため、宮崎刑務所で服役した。

よつて右事情のもとに喪失利益を計算すると、次のとおりとなる。

(イ) 事故当時の収入 月額一二万五、〇〇〇円

(ロ) 就労可能年数 七年(事故当時六四歳)

(ハ) 生活費控除率 五〇パーセント

(ニ) 事故当時より昭和五〇年八月三一日までの喪失利益

一二万五、〇〇〇円×四×〇・五=二五万円

(ホ) 出所後昭和五二年一月一日より同五二年五月三一日現在の喪失利益

一二万五、〇〇〇円×一七×〇・五=一〇六万二、五〇〇円

(ヘ) 昭和五三年六月一日より残りの就労可能年数四年間の喪失利益

一二万五、〇〇〇円×一二×三・五六四(ホフマン係数)×〇・五=二六七万三、〇〇〇円

(ト) 合計 金三九八万五、五〇〇円

(五) 弁護士費用 金五五万円

原告は、本件損害賠償について、被告側代理人と再三に亘つて交渉したが、被告は服役中の診断書がないので、因果関係が認められないとし示談に応じない。そこでやむなく、弁護士沖田哲義に本件訴訟を依頼し、その際着手金として金五万円を支払い、報酬については日弁連の規定内である金五〇万円を支払う旨約束した。

(六) 総合計

金一、一一一万〇、三四〇円

四  よつて請求の趣旨記載の判決を求める。

(請求原因に対する答弁)

一  請求原因第一、第二項の各事実は否認する。

二  同第三項の事実は不知。

三  原告の治療等の経過は次のとおりである。

(1) 昭和五〇年五月一一日(事故日)から同月二三日まで九州労災病院(担当医師野村茂次)入院。

病名は腰部捻挫、右肩及び肘部打撲症。

(2) 同年五月二四日から同年八月二八日まで九州労災病院通院(実通院日数は一四日)。

(3) 同年八月三一日から同五一年一二月一五日まで宮崎刑務所で受刑(覚せい剤取締法違反)。

(4) 同五二年一月八日から湯川診療所に入院。

四  右によつて明らかな如く、原告は本件交通事故の治療としては、九州労災病院の主治医から昭和五〇年五月二四日以降通院でよい旨の診断を受け、原告も右診断に従つて同日以降通院をしていた。通院の頻度も九七日のうち一四日という程度である。昭和五一年八月末日に収監されたので、右通院は中断された。かゝる経緯でありながら、昭和五一年一二月一五日仮出所し、それから二四日も経過した日に湯川診療所にて本件交通事故の傷害の治療のため、入院するということは、経験則上その相当性は全く認め難い。

本件事故の治療期間としては昭和五〇年八月末日をもつて終了し、それ以後は因果関係はない。以下その理由を詳述する。

(1) 原告は宮崎刑務所服役中は、袋貼り、草取り等原告と同年齢の服務囚と同一の労役に服し、刑務所内の生活も規則どおりになし、刑務所側が原告の「本件受傷による身体障害を斟酌した形跡」は全くない。

(2) 原告は懲役一年六月の実刑判決を受けたのに、約二ケ月半早く仮出所している。これは原告が刑務所内で与えられた作業に真面目に従事し、その点を斟酌されて仮出所の恩典を受けたものである。

(3) 原告には本件事故前から、第一〇胸椎から第二腰椎(T10~L2)に至るまで変形が既存しており、この疼痛に原告は従前から悩まされていた。原告は新幹線の敷設工事等の重労働に従事していたので、疼痛は一般より大であつた。

(4) 九州労災病院の担当医師野村茂次医師は原告に対し、同人の前記変形と同人の老齢の故に腰痛は生涯とれないであろうから、我慢しなさいと説得していた。

腰部捻挫の一般的症例から考察すると原告の場合、診療期間が三ケ月を経過した時点で症状固定である。

(5) 担当医師の判断では、昭和五〇年八月二八日ごろには守衛等の軽作業であれば、原告は就労可能であつた。

(6) 労災病院初診時の訴は腰痛、右肩及び肘部痛であつた。意識障害はなく、血圧、眼症状、脳神経学的検査に異常はなかつた。

レントゲン写真では、新鮮な異常所見はなく、第一〇胸椎から第二腰椎までの椎間孔の狭少及び骨棘形成等の本件事故とは無関係の変性が見られた。

これらの既存の変性による自覚症状が、本件事故により一定期間増強したことはあろうが、それもあくまで二、三ケ月の間である。昭和五〇年五月一九日には、腰痛、右肩痛、肘部痛は可成り改善されたが、起立歩行時に疼痛が増強するとの訴えがあつたので、五月二一日にコルセツト装着したので、疼痛も歩行時に殆どなくなつたので五月二三日退院した。退院後もポニタール(鎮痛剤)、サークレテン(循環系ホルモン剤)レポラーゼ(VB)、サルビタール(解熱鎮痛剤)等の薬物療法を継続するとともに、腰筋に局注麻酔注射を施行し、経過観察をしたが、著しい治療効果は認められなかつたので、野村主治医は昭和五〇年八月に入つてから原告に対し、変形性脊椎症の既存症状のため疼痛は一生続くので我慢をするよう説いた。

昭和五一年一二月二三日宮崎刑務所出所後、原告は九州労災病院に再受診し、腰痛を訴え入院を希望したが、野村医師は前記既存症状の件を再度説き、原告の主張する疼痛と事故との因果関係は不明であるからと言つて入院を断わつた。

(7) その後、原告を入院させた湯川診療所の田中芳隆医師は、前記野料医師の診断に反対し、「(イ)自分としては、原告にレントゲン写真上野村医師の指摘する程の変形はないと思う。年齢相当の退行性変性があるのみで、この変性があるからと言つて原告の言う現症が変性によるものと即断はできない。自分としては、現症は事故に因る腰部捻挫に年齢相当の退行性変性が加重して、長期化しているものと思う。

その証拠に、湯川診療所に入院して後治療効果が認められるので、入院六ケ月もすれば疼痛は消退すると思う。(ロ)但し、原告が宮崎刑務所で受刑し、安静がとれなかつたことが長期化の原因になつたことは否定できない。(ハ)原告を入院させた理由は、一人暮しの老人が腰痛と風邪で寝込んで生活ができないし、又、風邪のため衰弱していたので人道上入院させた。しかも個室を与えた。腰痛のみであれば強いて入院させる必要はないが、風邪をこじらせて全身衰弱して日常生活に耐え得ない状態であつたので入院させた。(ニ)昭和五二年一月八日入院時には三七・五度の発熱、咽喉の発赤、聴診により感冒をこじらせていると診た。右発熱が腰痛に因果関係を有することは否定できない。(ホ)ラセグ徴候(坐骨神経痛のとき、患者を背位に横臥させ、受動的に下肢を挙上すると下肢後面に激痛を訴える。神経の伸展緊張されるによる。フランスのエルンスト・シヤルル・ラセグ医師の発見したもの。)、坐骨神経痛所見があるので、これが疼痛の一因をなしていることは否めない。」と主張している。

右田中医師の診断によるも、湯川診療所に原告を入院させた理由は、感冒による全身衰弱という内科的疾患と一人暮しの老人で社会生活が営めないという、社会政策的配慮であつて本件事故とは無関係である。

入院期間が同医師の六ケ月間という予測に反し、昭和五二年一月から現在まで継続しているという非常識な事態になつたのも、原告が安静加療というよりは、彼の生活の場所として湯川診療所に居るからである。

(抗弁)

一  過失相殺

仮に、本件事故の発生につき被告に過失があるとしても、原告は本件事故発生当時、原告が通行していた車道に隣接して歩道帯があつたのに敢えて右歩道を通行せず、車道の真中を通行していた過失があるから、損害賠償額の算定にあたり過失相殺されるべきである。

二  損害の填補

原告は自賠責保険から本件事故に因る損害の填補として次のとおり受領した。

(1) 治療費 二九万一、九七五円(九州労災病院分)

(2) その他、原告が現金で受領したもの 四〇万円

(抗弁に対する答弁)

一 過失相殺の抗弁は否認する。

二 損害の填補の抗弁は認める。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生及び責任原因

成立に争いのない甲第一号証の一ないし七、原告本人尋問の結果並びに被告本人尋問の結果(但し、後示採用できない部分を除く。)を総合すると、「被告は昭和五〇年五月一一日午後一一時三〇分頃、自己所有の普通乗用自動車(北九州五五ひ六三三一)を運転して北九州市小倉南区大字蜷田下ケ坪八七六番地の一先道路(片側一車線、走行車道幅員三・一メートル、最高制限速度時速四〇キロメートルの交通規制あり。)上を曽根方面から北方方面に向け、時速約四〇キロメートルで進行中、対向車両の照明に眩惑され、一時前方注視が困難となつたが、このような場合直ちに最徐行または一時停止して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、深夜で交通閑散なことに気を許し、進路前方に歩行者はいないものと軽信し、漫然同一速度で進行を続けた過失により、折から進路左側前方の非舗装の幅員一メートルの路側帯とこれに接する車道左側端付近に進行方向に向け広範囲に長く続く水たまり(車道上の水たまりの最大幅は一メートルに近い)を避け、進路前方車道上水たまりのそば(車道中心線より一・六メートル左側の地点)を同一方向に向け歩行中の原告(当六五年)を一〇数メートルの至近距離に至つて発見し、あわてて急制動の措置をとるとともに右に転把したが及ばず、自車左側後部フエンダー付近を原告に接触させ(同所に払拭痕がついた。)、接触後約一メートル進行して停止したが、これにより原告に腰部捻坐、右肩、肘部打撲傷の傷害を与えたものであること」が認められ、被告本人尋問の結果中、右認定に反する部分はその余の前掲各証拠に照らし採用できないものであり、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると、被告は自動車損害賠償保障法第三条本文により原告が本件事故で蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

二  受傷、治療経過等

成立に争いのない甲第二号証の一、二、第三号証、同第一〇号証の一、原本の存在並びに成立に争いのない甲第五号証の一、二、第六号証の一ないし三、第七号証、第八号証の一、二、第九号証の一ないし五、第一〇号証の二、三、宮崎刑務所長への調査嘱託の回答結果、証人野村茂治、同田中芳隆の各証言並びに原告本人尋問の結果(但し、後示採用できない部分を除く。)を総合すると、次の各事実が認められ、原告本人尋問の結果中この認定に抵触する部分は採用できず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

1  原告は本件事故後間もなく九州労災病院に運ばれ診察をうけて入院し、昭和五〇年五月二三日まで一二日間入院治療を、同月二四日から同年八月二八日まで通院治療(実通院日数一四日)をうけ、後に昭和五一年一二月二三日一回だけ通院治療をうけた。

2  原告の症状の経過及びこれについての同病院の医師の所見は次のとおりである。

原告は入院当初腰部に激しい疼痛を訴え歩行困難であり、下部腰椎の圧痛及びその両側の筋肉の圧痛、下部胸椎の圧痛、右足底部の知覚鈍麻が認められた。しかし原告の腰部には発赤、皮下出血等の本件事故を示す打撲の痕跡はなかつた。入院中当初の激しい疼痛は次第に軽快し、経過は良好であつたので入院一二日目の昭和五〇年五月二三日コルセツトを装着して退院した。原告は退院時年齢相応の軽作業であれば就労可能な状態であつた。退院後腰椎及び胸椎の圧痛は六月初旬には消失していたが、下位腰椎の両側の傍背柱筋の疼痛のみ持続し、同部への局所注射、内服薬(消炎鎮痛剤及び筋弛緩剤)、坐薬(消炎鎮痛剤)、湿布薬を使用し、昭和五〇年八月二八日まで治療を続けた。担当の野村茂治医師は当時原告の腰部の筋肉の緊張が強いことと痛みに対する訴えが強い性格から治療が相当長びくかも知れないと考えていたが原告は右同日以後来院しなくなつた。

3  原告の入院時のX線検査によると、多年に亘り徐々に生じた年齢的な強度の退行性変化による変形性脊椎症(第五腰椎と仙骨の間の椎間板が著明に狭少になつており、第四腰椎と第五腰椎の間、第一腰椎と第二腰椎の間、第一一腰椎と第一二腰椎の間の椎間孔も狭くなつているもの)・骨粗装症並びに第一一腰椎、第二腰椎にいずれも楔状変形(一種の圧迫骨折)とすでに二次性の変化としてのかなり古い骨棘形成が認められたが、その他には直接外傷による変化と思われる所見はなかつた。しかし原告は本件受傷と同時に強い腰痛が発生し歩行困難となつていたもので、たとえX線上に新鮮な外傷性変化が認められないにしても、その外傷が強い疼痛の原因又は少くとも疼痛発生の引き金になつたものであり、又比較的短期間の安静で疼痛は軽快し一〇日後には退院可能な状態となつた事実は初期の強い疼痛は慢性の症状ではなく、急性のものであつたことを示している。若年者では骨関節損傷や椎間板ヘルニヤ、椎間板損傷のない腰部捻挫、腰部挫傷などの腰部の外傷性疾患が発生しても一、二ケ月以内に症状は消失するのが通常である。しかし、一般に変形性脊椎症や骨粗装症などの加令的退行性疾患が基盤にあると、症状が遷延し易い傾向が認められているところでありこのような場合疼痛などの症状の原因が本質的に外傷に起因するものか又はそうでなくて潜在していた退行性疾患の症状が誘発されて来たものか医学上明確に判断することは困難であり、しばしば不可能であるが、原告についても、症状軽快となり退院後もなお下位腰椎の両側の傍背柱筋の疼痛の持続を訴えているものであり、その原因は医師としての推論による外はなく、これによると、腰部捻挫としての症状は初期の急性症状であり、これは一ケ月以内に消腿したが、原告には前記変形性脊椎症、脊椎骨粗装症が潜在しており、これらの疾患があると外傷に対して抵抗が弱く症状が発現し易い状態にあつたのが、外傷によつて既存疾患の症状が誘発され又は増悪したため症状が長く持続したものであり、原告の訴える腰痛は前記変形性脊椎症、脊椎骨粗装症、その他の圧迫骨折、骨棘形成、これに伴う筋肉の変性、神経の圧迫等の病変の諸原因の複合的結果である。

九州労災病院の担当医師の所見は以上のとおりである。

4  ところで原告は昭和五〇年八月末日頃覚せい剤取締法違反事件で警察に逮捕されて宮崎県に護送され、同年九月三日宮崎刑務所に未決囚として入所し、昭和五一年三月頃刑が確定して服役し同年一二月一五日出所した。原告は入所当初より腰痛を訴えていたので同刑務所の医師は治療として昭和五〇年九月八日からカンポリジンの腰部注射を二、三日毎に行い、同月二六日以後は右注射の外鎮痛剤ハイピリンを殆んど毎日投薬していたが病状に変化はなかつたので同年一二月二六日以後はイルガピリン錠を時々投与した。治療は昭和五一年一二月一三日まで行われたが、原告の症状は入所時と変らなかつた。その間原告は昭和五一年三月刑執行となり同月末日頃刑務所内の洗濯工場に出業し、同年一二月一三日頃まで休業することなく仕事に従事していた。

5  原告は宮崎刑務所を出所後同月二三日に再び九州労災病院に行き腰痛を訴え、鎮痛剤の投与をうけたが、一回きりでその後同病院には行かなかつた。

6  昭和五二年一月八日原告はかなり激しい悪性の風邪にかかり気管支肺炎をおこし湯川診療所に入院したが、腰痛も訴えていた。同診療所の医師の所見では、原告は第三ないし第五腰椎の領域の関連痛と腰の傍背桂筋の腰筋痛を訴えていたものであり、その訴える症状並びに原告の本件事故前は腰痛はなかつたとの言を信用してこれを前提とせざるを得ない医師の立場としては、原告の腰痛は本件事故による第五腰椎と仙椎の椎間関節の捻挫によるものであると考えた。

7  しかし、湯川診療所の医師から電話で照会をうけた九州労災病院の原告の主治医は、原告が同診療所に入院したと聞いて、何故入院したのであろうかと驚いた。同医師は湯川診療所の医師の右所見とは異なり、第五腰椎と第一仙椎との間から出ている神経に損傷があれば足背にしびれが起り同時に足指の動きにも障害がある筈であるのに、原告にはそのいずれもがなくアキレス腱反応も足指の筋力も正常であつたことから右部分の神経損傷はないものと判断している。

8  原告は湯川診療所で昭和五四年三月二四日まで入院治療をうけ、同日退院したがその後も通院治療をうけている。

三  ところで、原告本人尋問の結果並びにこれにより真正に成立したものと認められる甲第一二、第一三号証によると、原告は本件事故前、昼間は訴外杉本建設工業(代表者杉本一範)で機械による土木作業の補助員として働き、夜間は訴外日栄商事九州営業所(所長森田潤三郎)で夜警員として働いていたことが認められるので、反証のない本件においては、その訴える腰痛は本件事故に起因するものと認めるほかはないが、前示認定の諸事実を総合検討し、特に本件事故の態様、原告の前示既存疾患、九州労災病院、宮崎刑務所における治療と症状の経過、同刑務所における服役作業状況、本件事故後の経過年月等に鑑みると、原告の腰痛の症状については九州労災病院の医師の所見をもつて相当としてこれを採用すべく、従つて湯川診療所の医師の前記所見は右に抵触する限度で採用し難いものである。そして原告の症状は遅くとも昭和五〇年一二月には根治不能のまま固定した状態にあつたものと認めざるを得ず、事故後約一年八ケ月を経過した昭和五二年一月八日以降の原告の湯川診療所での入院治療については、本件事故との間に相当因果関係を認めるのが困難であるといわざるを得ない。

さらに、前記認定事実によると、原告は年齢相応の軽作業に従事する能力があることは認められるものの、腰部傍背柱筋の疼痛の症状は或る程度軽快したものの根治せず固定しているものと推認されるのであつて、原告には右の後遺障害があるものといわねばならない。

また原告については本件事故による腰部の捻挫が引き金になつて前記既存疾患の症状が誘発されたか、または増悪したため症状が長引き、また後遺症状が残存したものと推認されるところ、本件のように不法行為と損害との間に自然的因果関係が認められる場合においても、その発生した損害が他の要因にも大きく基因していて、その全損害を不法行為者に賠償させることが却つて公平の観念に反する結果となると認められるときは、不法行為の寄与度に応じ、その限度で相当因果関係が存するものとして加害者に損害賠償責任を負担させるのが相当である。

しかして、前示認定事実その他本件にあらわれた一切の事情を参酌すると、本件事故の寄与度は、原告の後遺障害に関する限度で考慮し、これを六〇パーセントとするのが相当であると認める。

四  損害

(一)  治療費

原告は昭和五二年一月よりの湯川診療所における入院治療費を請求しているが、右入院治療と本件事故との間の相当因果関係を認めることが困難なことは前示のとおりであるから、原告の主張はこれを採用できない。

(二)  入院雑費 金七、二〇〇円

原告が九州労災病院に一二日間入院したことは前示のとおりであり、右入院期間中一日金六〇〇円の割合による合計金七、二〇〇円の入院雑費を要したことは経験則によつてこれを認めることができる。しかして湯川診療所に入院中の入院雑費については前同様の理由によりこれを認めることができない。

(三)  慰藉料 金一〇〇万円

本件事故の態様、原告の傷害の部位程度、治療の経過、後遺障害の内容程度、原告の年齢、本件事故の寄与度、その他本件にあらわれた諸般の事情を参酌すると、原告の慰藉料額は金一〇〇万円とするのが相当であると認められる。

(四)  休業損害 金五万円

成立に争いのない甲第四号証、前掲甲第一三、第一四号証によると原告は本件事故当時六五歳で前記杉本建設工業並びに日栄商事から一ケ月平均合計金一二万五、〇〇〇円の収入を得ていたことが認められ、これに反する証拠はないから、前記九州労災病院の一二日間の入院期間中の休業損害は金五万円とするのが相当である。

しかし原告は九州労災病院への通院期間中、年齢相応の軽作業であれば就労できる状態であつたことは前示認定のとおりであるところ、休業したことを認めるに足る証拠はないからこの期間中の休業損害はこれを認めることができない。

(五)  逸失利益 金七三万六、二二三円

原告の昭和五二年一月一日以降の逸失利益については、以上認定の諸事実に原告の後遺障害の部位程度、本件事故の寄与度を参酌すると、原告は本件事故による受傷のため労働能力を一五パーセント喪失したものと推認できるところ、原告の就労可能年数はその年齢からして右同日から四年間と考えられるから、原告の逸失利益の本件事故当時の現価を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると金七三万六、二二三円となる。

五  過失相殺の抗弁について

前記認定の本件事故の態様によると、本件事故の発生について原告に過失を認めるのは困難であるから、被告の過失相殺の抗弁は採用できない。

六  損害の填補

原告が自賠責保険から、九州労災病院の治療費金二九万一、九七五円の外に、損害の填補として金四〇万円を受領したことは当事者間に争いがないから原告の前記損害額から右填補分金四〇万円を差引くと残損害額は金一三九万三、四二三円となる。

七  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は金一五万円とするのが相当である。

八  結論

よつて、原告の本訴請求は、金一五四万三、四二三円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和五〇年五月一二日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 森林稔)

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